第六十二回 京都観世能 第二部

公演日時:2020/10/25(日・SUN) 14:30~
主催:京都観世会
演目:
(能)遊行柳 青柳之舞 椊留   観世清和
(能)正尊 起請文 翔入     井上裕久
入場料:
【9月1日発売開始】
S席(1階正面指定席)   ¥12,000
A席(1階脇正面中正面指定)¥10,000
B席(一般2階自由席)   ¥6,000
学生(2階自由席のみ)   ¥3,500

本公演は新型コロナウイルス感染予防ガイドラインに沿った対策を講じた公演とさせて頂きます。

演目解説

遊行柳 青柳之舞 椊留 ゆぎょうやなぎ   あおやぎのまい    あずさどめ
 時宗(じしゅう)の祖、一遍上人の教えを受け、諸国を遊行し御札を広める遊行上人は、奥州路にかかり白河の関を過ぎる。秋の夕暮は早い。一行が足早に広い街道を進もうとすると老人が現れ、昔はこの街道は無く、先の遊行の聖は別の古道(ふるみち)を行かれたと教える。そして遊行上人をこの古道に導き、古塚の上に立つ朽木の柳を見せる。老人は上人の問いに答え、昔西行法師もここを訪れ、――道の辺に清水流るゝ柳蔭 暫しとてこそ立ちとまりつれ――と和歌を詠んだことを語り、上人の十念を身に受けて朽木の蔭に消える。                     <中入>
 所の人に柳の謂れを聞いた上人が夜もすがら称名を唱えていると、夢中に柳の精が老体の姿を現し、先刻道しるべしたのは私であると明かす。そして弥陀の悲願の広さ、柳の徳、都の柳の利生、源氏物語の恋路までも語り、法の道に導かれる喜びを舞う。やがて上人への報謝の舞もこれまでと、名残を惜しみつつ秋風の中に消えてゆく。
 柳の精は上人の御法を受けるために道しるべする。細々続く古道は、柳の生きて来た道。上人の御法を得て向かう道は、弥陀のもとへ往く道。前場で描かれた道は、後場では永遠の道につながる。柳の精は真の喜びを得て旅立つ。西行が行き、先の遊行が行き、今遊行上人が行き、やがて芭蕉も行く道。能は「とき」の永遠性までも描くことができる。西行の和歌を軸にして、鄙(ひな)の柳が語る雅びは、歌枕の力でもある。都人の鄙への憧憬は和歌によって結実してゆく。
 『船弁慶』『紅葉狩』『羅生門』など、新しい時代に合った能を数多く生み出した小次郎信光は、この『遊行柳』や『胡蝶』などの閑寂で雅びな曲も書き、能の普遍性を託しているようにも思える。
 小書の「青柳之舞」は、序之舞を初段または二段で舞い上げる。舞を四季に見立て、春の段で舞い上げるゆえの名とも言われる。また「椊留」によって、終曲に柳の精は古塚に帰り、言葉通り「残る朽木」となって留まる。

正尊 起請文 翔入 しょうぞん きしょうもん  かけりいり
 兄頼朝の命を受け、平家を壇之浦に滅ぼした源義経は、都に在って治安に努めていた。しかし梶原景時の讒言(ざんげん)により兄弟は不和となり、義経は孤立する。そこへ熊野詣でと偽って土佐正尊が京着する。頼朝よりの討手と疑った義経は、正尊の宿へ弁慶を遣わし、有無を言わせず正尊を義経の元へ連れて来させ、伺候(しこう)させる。義経は自分を討ちに来たのであろうと正尊に迫る。進退谷(きわ)まった正尊は起請文(誓詞)を書き、御前で読み上げる。もとより虚言(きょごん)とは思いながら、その文才を認めた義経は、ひとまず正尊を許して盃を与え、静御前に舞を舞わせる。そして兄弟の契りの大切さを頼朝に伝えるように静に諫められ、正尊は宿に帰る。<中入>
 弁慶は正尊の宿に密偵を送り、様子を調べると、案の如く討入の準備をしている。これを聞いて義経方も戦仕度をして待ち受けるところに、正尊方が討ち入る。正尊の郎等は次々に討ち取られ、終に正尊も生け捕られる。
 この曲の特徴の一つは、前場後場で全く異なる魅力を備えていることである。前場では弁慶と正尊の知略と腹の力の駆け引き。そして主君への忠義の絶対性。正尊の読み上げる起請文は、日本中の神仏に背いても、頼朝の命を遂行せんとする命懸けの虚起請(そらぎしょう)である。この緊迫感を一気に解くのが静の舞。それに対して後場は凄絶な斬り組み。世阿弥や禅竹が志向した内的ドラマとはひと味違う、目に見えるドラマ性が輝いている。小次郎信光が開拓した演出の流れを引き継いだ、彌次郎長俊の秀作と言えよう。
 我が郎等が討たれてゆくのをじっと見守る正尊の姿に、平安末期から鎌倉期に見られる、義のためにあざやかな死を為す武士の形体(ぎょうたい)と、主従愛との狭間で苦しむ悲愴感が見える。
 「起請文・翔入」の小書は、正尊の起請文の読み上げがある(常態)のと、後場に「翔」を入れて、多くの斬り組みを見せる演出である。

出演者紹介
CAST

観世清和
Kanze Kiyokazu
日本能楽会会員

井上裕久
Inoue Hirohisa
日本能楽会会員