第64回 京都観世能

公演日時:2022/10/23(日・SUN) 11:00~
主催:京都観世会
演目:
(能) 養 老        林 宗一郎
      水波之伝
(狂言)茶 壺        茂山あきら
(能) 三 輪        片山 伸吾
      白式神神楽
(能) 正 尊        吉浪 壽晃
      起請文
      翔入
入場料: 【9月1日発売開始】
    S席(1階正面指定席)   ¥12,000
    A席(1階脇正面中正面指定)¥10,000
    B席(一般2階自由席)     ¥6,000
    学生(2階自由席のみ)     ¥3,500
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演目解説

養 老 水波之伝 ようろう  すいはのでん

 世阿弥作の神能。
 雄略天皇の昔。美濃国(現岐阜県)本巣(もとす)の郡に不老不死の薬の水が湧き出る由を聞かれた帝は、勅使を遣わす。勅使が本巣の養老の滝に着くと、薬の水を見つけた親子の者に行き会う。親子の者は勅使の問いに答えて、その経緯を語る。――孝行者の息子は毎日山に入り薪を採り、老父母を養っていた。あるとき、ふと滝の側より湧き出る泉の水を飲む。すると忽ち疲れも消え、活力が満ちた。これを汲み帰り父母に飲ますと、老を忘れ若いだ。―― その泉の在り処を勅使に教え、薬の水のありがたさを中国の故事などを引いて語る。勅使は喜び、この由を帝に奏上するため帰ろうとすると、天より光が差し、音楽が聞こえ、花が降り、ただごとと思えぬ様子となる。―中入―
 やがて天女の姿の楊柳観音菩薩が現れて舞を舞い、次いで山神が出現し、豪壮に舞い、治まる御代を寿ぐ。
 「水波之伝」の小書(特殊演出)では、中入の地謡で前シテはすぐ中入し、前ツレが情景描写を受け持つ。そして「来序(らいじょ)」を踏んでツレも入幕すると、間狂言は無く、すぐに「出端(では)」になって楊柳観音の降臨となる。舞を舞い、薬の水の奇瑞を讃えると、黒頭に芍薬の花を戴き、目に金具を嵌めた「三日月」系統の面をかけた山神が荒ぶる神の風情で現れ、急調の舞を舞う。間狂言が無いので、自然シテは早(はや)装束(しょうぞく)(前後の装束を短時間で替える)となる。ツレの舞の途中、半幕(はんまく)(揚幕が半分だけ巻き上げられる)でシテが姿を見せるが、これは舞台面の演出だけではない「サイン」も含まれている。「神舞(かみまい)」は悉く替の型で舞い行き、最後の段で、笛が水に縁の盤渉(ばんしき)(高い調子)に上がる。水の印象を強めて舞い上げ、続く「立廻(たちまわり)」で橋掛りへ行き、滝を見上げ流れを追う。水また水の演出である。
 神と仏を水波の隔て(隔てのないもの)と捉えるのは、近代以前は自然な思想であり、日本の文化のおおらかさの象徴のようにも見える。
 前段では人間の視点から水の徳を讃え、後段では神仏がこれを賛美する。水の清らかさをもって、世界の平和と万民の幸福を祈る祝言曲である。

三 輪 白式神神楽  み  わ    はくしきかみかぐら

 大和国(現奈良県)の三輪山の麓に庵を結び、閑居する僧があった。玄賓僧都(げんぴんそうず)と云う。僧都のもとへ、毎日樒(しきみ)と閼伽(あか)の水を運ぶ女がいた。秋の夜寒のためとて、女が衣を所望すると、僧都は快く与える。受衣(じゅえ)を謝し、衣を抱いて帰ろうとする女を呼び止め、僧都は住処を尋ねる。女は「三輪の山もとに、杉立てる門をしるしに尋ね給え」と言い捨てて消える。―中入―
 僧都のもとへ日参する里の男が三輪明神に参ると、杉の神木の枝に僧都の衣が掛かっている。不審に思った男が僧都に尋ねると、先程女に与えた衣であることが分かる。僧都は草庵を出て三輪明神を訪ねると、なるほど女に与えた衣が掛かっており、その褄に金色の文字で和歌が書かれている。「三つの輪は清く浄きぞ唐衣 くると思ふな取ると思はじ」。すると今度は神木より神の御声が聞こえる。「ちはやぶる神も願ひのある故に 人の値遇にあふぞ嬉しき」。僧都が姿を現し給えと願うと、果して神体が現れる。そして三輪の神婚説話を語り、天照大神の岩戸隠れの神楽を再現し、伊勢と三輪の神は一体分身と説き、神の告は永遠化されてフィナーレとなる。
 この度は「白式神神楽」の小書で演じられる。片山家で創出された小書である。作り物は笛座の前に出され、ワキ、シテの出に重い習いがある。後シテは小書の名の通り、垂髪(おすべらかし)に、白地着付、白大口、白地狩衣と、白一色の装束になり、神々しい姿となる。常は巫女に神が憑く設定であるが、この小書では神本体が現れ、「神体あらたに見え給ふ」と明言する。榊を持ち、青竹で組まれた杉を表す作り物より出たシテは、「クセ」の後、岩戸隠れの神楽を真似(まな)ぶが、常の「神楽」ではなく、「イロエ」と「神楽」に分け、神性と高揚感を高める。
 すべての芸能の根元と世阿弥が主張する岩戸隠れの神楽を、三輪明神が再現するこの曲は、古代の気をまといながら中世の神道論も体現し、近世近代の演出の昇華度の高さにまで及ぶ。能の進化の可能性が見えるようにも思われる。

正 尊 起請文 翔入  しょうぞん   きしょうもん かけりいり

 平家を壇之浦に滅ぼした源義経は、朝廷の命により都を守護していた。しかし源平の合戦の折、梶原景時が提案した逆艪(さかろ)(舟首にも艪を付け、舟を後退させる工夫)の意見を義経が承引しなかった遺恨により、景時は「義経に謀叛の心あり」と頼朝に讒奏(ざんそう)し、義経は窮地に立たされていた。そこへ鎌倉殿(頼朝)より義経暗殺のために送り込まれたのが、土佐坊正尊である。
 正尊が都に着いたとの知らせが、義経のもとに届く。義経は弁慶を遣わし、正尊を即時に連れて来させる。そして、熊野参詣のための上洛と偽る正尊に、義経の討手であろうと詰問する。進退谷(きわ)まった正尊は、自分の言葉に嘘偽りの無いことを神々に誓う「起請文」をその場で書き、義経の御前で読み上げる。その器容を認め、義経は正尊に盃を与え、静御前に酌をさせ、舞を舞わせる。場は一気に和らぎ、華やかさに包まれる。「頼朝と義経の兄弟の契りの変わらぬことは、神が知っておられるでしょう。」と静に諫められ、正尊は宿所に帰る。―中入―
 弁慶が正尊の宿所に偵察の者を送り込むと、案の定、正尊方は武装して、夜討ちの用意を整えていた。これを聞いた義経方も、応戦の用意をして待ち受ける。正尊方が討ち入ると、弁慶や江田源三や熊井太郎の働きで、正尊方の郎等は次々と討たれる。姉和平次光景も、大将である正尊を討たせてはなるまいと進み出で、弁慶と戦うが、彼も斬られてしまう。数々の郎等を失った正尊は馬より下り立って乱れ入り、義経、静と切り合うが討つことは叶わず、弁慶と切り合い、組み合い、終に組み負けて縄を懸けられ、引き立てられてゆく。
 前段では、正尊と弁慶の知略と威圧の駆け引きの面白さや、虚起請(そらぎしょう)を読み上げる正尊の神をも畏れぬしたたかさ、静の舞の可憐さと、見る者を飽きさせない。このような前場から盛り上げる演出は、音阿弥の子である小次郎信光以降の作者に多く、世阿弥や禅竹の凝縮した美意識とは別の魅力を求めたものであり、能の可能性を近世に継いだ一要因とも言えよう。
 「起請文」の小書は、起請文そのものをシテが読み上げる演出であるが、これが常態となっている。また「翔入」は、「翔」を挿入して斬組に重点を置き、次々と郎等の討たれる様を見せる。しかし、その間幕前で床几に掛けて動かず、我が郎等が命を落としてゆく悲惨を耐えて見守る正尊の心中に、この曲のもう一つの主題があるのかもしれない。


                                (河村晴道)

出演者紹介
CAST

林 宗一郎
Hayashi Soichiro
日本能楽会会員

茂山あきら
Shigeyama Akira
日本能楽会会員

片山 伸吾
Katayama Shingo
日本能楽会会員

吉浪 壽晃
Yoshinami Toshiaki
日本能楽会会員